それは突然だった、、、
思いもかけない、突然だった、、、
予期せぬ、構えることも出来ないほど突然だった、、、
1992年、エチオピアアディスでの内乱に巻き込まれ3ヶ月ぶりに泣く泣く帰国したとき知人の紹介で出会ったインド人のクマンとは
アフリカのダイヤモンドビジネスの話で意気投合して以来ずっと
ビジネスパートナーを組み何でも打ち明けられる仲になっていた。
お互い家族を紹介しあい休日は一緒に食事に行ったり旅行もしたり
俺がインドに行った時は必ず彼の実家に顔を出し時間がある時は泊まったりもしていた。金の貸し借りも平気、インドから電話で
「クマンさん、予定はずれて あしたちょっと銀行に金足りなくて、、、500入れといて、、、来週日本帰ったら返すから、、、」
クマンとは3年位一緒に会社起こしてやっただろうか、、、
それは御徒町に住所を構え 1ヶ月100万ドル~200万ドルベースでインドからダイヤモンドを輸入し成田と甲府、そして御徒町にも宝石加工会社をつくり これでもかと言う位ジュエリーを生産し続け 表面の店舗では年間10億、裏ではそれの数十倍の売り上げを上げる会社に成長していた。
売り上げの悪い2月と8月は社員20人ほど引き連れて 工場見学と称して甲府石和温泉に旅行してドンちゃん騒ぎ、(今では絶対言わない)時にはみんなで「心をひとつ、一致団結!!」なんて言って 社員一同強制的にグアムマラソンに出場させて 社員に「そんなに儲かっているならもう旅行はいいからボーナスあげて!」なんてのた打ち回られ、落ち込んだりで意気揚々としていた。
この時 俺は会社勤めはした事はないが社員心理をよく学んだ。
ある時、女子社員の一人がボソッと言った、、、
「社長は嫌いですがこの会社は好き、、、この仕事が好き、、、」
それを聞いた俺は一発きれて「おまえなー俺がやってる会社、俺の会社、俺が嫌いなら今すぐやめろ!!」
即刻くびにした。
しかし明らかに俺が間違いで俺が悪かった事に気づかされた、、、でも遅かった、、、その子を傷つけたことはずっと引きずっている、、、
まあ、人はちゃっかりしたもので、、、
2月、、、寒いからと南半球の暖かい国オーストラリアにみんなで行こうとまた社員一同引き連れてケアンズに旅立った。
1週間の旅、遊ぶのに人数が多すぎて動きがにぶく意見も合わせるのが難しいと言うことで男子と女子に別れて遊ぶ事にした。
よく考えるとちょっとおかしな話、、、
時に男子はスカイダイビング、時に女子はライセンス取りにスキューバーダイビングへと、、、
旅の最後の日の夜、ケアンズで一番大きなシーフードレストランで
食事をした後のこと、、、
一緒に来ていた添乗員の古河さんが唐突に「尾茂さん、みんなでおもしろい所行きましょう!ストリップ!!女の子も経験のために、、、みんな楽しめますよ!!!」みんなお酒も入っていたせいか、「行く行く!」女の子達もみんな「わーおもしろい!!」
俺が誘ったってぶつぶつ言って乗らないくせにこんなにノリノリははじめて、調子をよくした俺は「古河さん、もう貸切!そのストリップ貸切にしてよ!!」みんなきゃーきゃーいいながら
「社長~気前がいいー!よっ!男!!」わかってはいるけどもう止まらない、、、持ち上げられ、おだてあげられ、たてまつられ、お酒が回って何が何だかわからない。
エントランスに立っていた黒人の大男に100ドル握らせたのまでは覚えているがエントランスフィー全部でいくら払ったのか覚えてはいない。もうこうなったら典型的日本人観光客!
中ではトランスミュージックがガンガンで自分が立っているのか飛んでいるのかもわからず、、、そのまま席に通されショーはすぐさま始まった。
赤いライトにミラーボール、フラッシュライトに裸の女、、、
もうそれは別世界だ!
女子社員も目は釘ずけ、男子は目が点で口あけっぱなし、、、
ダンサーも乗ってきたのか若い男子社員を舞台に誘い出す。
ここはもう貸切のパラダイス!やれやれーどうにでもなれー
狂乱のにぎりこぶしを頭高く振り上げていたのは気がついてみると
俺一人だった、、、
恥ずかしがって一向に舞台に上がらない若い子に ダンサーは諦めてなんと俺の手をとって舞台に引きずり上げた。
それまであれほど恥ずかしがって手をちじこめて小さくなっていた男子社員が「社長ーやれやれーいけいけー!!」
俺はダンサーにやられるがまま踊り、ぬがされ 俺の一物にゴムを
かぶせられ、、、
その後はほんとに覚えてはいない、、、
次の日の帰国の朝、、、
そう、この旅行には俺の嫁 美香とお母様も来ていたのだ。
帰りの7時間あまりの飛行機の中、誰一人口を利こうとはしなかった。ただ一回、美香のお母様が俺の隣に来ていきなりそっと俺の腕をつねくりあげてボソッと言った、、、
「あなたみたいな小さなち0こ見た事ない!!」
あーお母様も「ち0こ」って言うんだー 俺にはそれがみょーに
おかしかった、、、
オーストラリア旅行から帰ってきて数ヶ月がたち、あの件も落ち着いた5月、
クマンから電話で「尾茂さん、あした棚卸ししたいから帳簿と在庫持って家きてくれる?」
俺達は半年に一回位 帳簿と在庫をてらし合わせてインドと連絡を取り合い今売れている在庫の調整をしていたから、、、いつもの事ではあった、、、
その日仕事が終わって金庫からすべての在庫をスーツケースに詰め込んで家に帰り寝入っていたその時、遅くに珍しくクマンから電話が入った。「尾茂さん、すみませんが明日棚卸し夕方からにしてもらえませんか?」
いつもはその日は会社休みにして朝から棚卸しするのが普通で何か
おかしいなあとは思ったが疑うことはなかった。
翌日、約束通り夕方少しはやめの4時、俺はあまり夜遅くまで在庫の整理やらお金の計算やらをしたくなかったから、、、
俺はスーツケースに詰め込んだダイヤの在庫をバサッバサッと袋ごと机の上に置いた。俺達が主力で売っているテーパーダイヤのロット、4000カラット、マーキスダイヤ、ペアシェープダイヤ、メレダイヤ、バケットにハート、ボカにして1000万ドルあまりの在庫だ!
「尾茂さん、在庫ありすぎじゃない?来月から少し仕入れ控えよう、、、インドの方ももうこれ以上在庫増やせないって言っている、、、」インドのシッパー会社から資金援助も受けていたから
その意見も大切だ。
クマンとの話し合いや帳簿の照らしあいに幾分時間がかかり
もう、時計はすでに12時を過ぎていた。
頭は眠くてもうろうとしてきて、いつもは10頃には寝ている俺なので口も渇きろれつが回らなくなってきている。クマンが
「尾茂さん、もう遅いから在庫はこのままにして僕は触らないから
明日にしませんか?棚卸し、、、」
俺は明日も会社休みにする訳いかないので「このテーパーだけは持っていくよ。」
俺は100カラットあまりのテーパーロットの袋をつかんでポケットにしまいこみサッサと車で帰宅した。
まずはベットで眠りたいと思っていたから、、、
朝、まだ何かモヤモヤした頭で会社に行き夕べ持ってきた100カラットあまりのダイヤを店長に渡し「ごめん、棚卸しまだ終わらなかったから今日一日これでやっておいて、、、」
俺はそう告げ、クマンの家に向かった。
目黒のクマンの家に向かう間、やっといろいろな事が頭の中をめぐりはじめた。それまでいつも仕事上最悪の事を想定して動いていた。なんせ100万ドルだってダイヤならポケットに入ってしまう世界だ!
最初の取引では絶対うたがってかかっていた、、、人には俺はパラノイヤとまでやじされ現金と引き換えでなければ1カラットたりとも渡した事はなかった。何かおかしい、、、
これはやばい!そう思った瞬間、俺の頭の先から足の指先まで血の気がひいた。
すぐさま車を停めてクマンに電話を入れた。ぷるるる、ぷるるる、
出ない!!血の気がひいた俺の体は一瞬でフリーザーに閉じ込められたように硬直した。硬直した身体を無理やり動かし携帯にも入れてみた、、、 、、、 、、、
車を脇に停めたまま、、、血の気のひいたまま、、、硬直した体で携帯を持ったまま、、、電話はなりひびく、、、
その朝一番の飛行機でクマンとその家族は飛んでいた、、、